「龍馬伝!」、裏話

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龍馬111.JPG今評判のNHKの「龍馬伝」についてお話します。


NHKさん、撮影にも工夫を凝らしたとのことで、映画館で見るのに似せた映像だそうです。その方がリアルに感じるようで、登場する岩崎弥太郎も迫力があって、大河史上かつてないほど汚い風情ですが何となく愛嬌があります。


映画のフイルムは一秒間に二十四コマ(映像が1秒間に24回点滅)ですが、この龍馬伝もコマ数を同じにして、映画館で見る時とよく似た感じの映像になっています。NHKも凝ったことをするものです。


ハイビジョンだから隅々まで明るく、きれいですね。まぶしいほど光が当たるところもあれば、濃く影が落ちているところもありますがよく映せています。屋外撮影を多く取り入れ、扇風機で風を起こしたり、スモークを炊いたりして、空気感を生みだしているようですね。これらの要素が「映画っぽい」印象を与えているようですよ。

今までの大河ではドラマでは見たことがないリアルな映像を楽しめています。


ちなみに、使い古しの感じをだすために、撮影前にコーンスターチを出演者全員の衣服に振りかけているそうです。
 岩崎弥太郎役の香川照之さんは、歯はメーク用の塗料で黒く塗り、着物はもともと古いものを、さらに破ったり汚くして、汚れレベルも五段階ほど設定して準備しているそうです。
 実際はここまで貧乏ではなかったという説もありますが、どんどん成り上がっていくのを分かりやすく見せるために、全部で十段階ぐらいの扮装が用意されているそうです。


これからの放送も目が離せませんね。

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こんにちは、今日は春めいた気候でしたね。
いかがお過ごしでしょうか。

さて、岡山「丸善書店」に行きましたら、
「戊辰戦争を歩く」が平積みになって並べられていました。
 
まだ買っておられない方がおいででしたら、
厚かましいお願いですが、是非、お買い求めください。
でも、どうしても買えないとおっしゃる方は、
地元の図書館でリクエストを出して、
是非、お読み下さい。
心からお願い申し上げます。
以下、友達の感想です。

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まだ、全部読めていませんが、かなり充実していて且つ、濃厚な内容となっております。
かと言って全然堅苦しくもなく、ソフトカバーで持ち運びしやすくいつでもどこでも気軽に読めそうな感じ♪

 

 
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作家の星亮一先生、戊辰戦争研究会の仲間たち、星先生の呼びかけに ご協力頂いた方々のご尽力で、一冊の本として世に出ました。

本日発売です。首都圏では平積みとのこと、 どうぞ、みなさん、書店で手に取り、お読みください。

私は京都を担当しております。

 

 内容は充実して、史跡巡りのこれからの良い指南書として 活躍してくれると思います。
愛蔵本となりますように、願っております。
買って頂いても、図書館で読まれても、嬉しい限りです。

 

 

 

「戊辰戦争を歩く 幕末維新歴史探訪の旅 」
著者:星亮一+戊辰戦争研究会 ISBN:978-4-7698-1468-9
定価:2,520円 発行年月日:2010年2月10日

鳥羽伏見から箱館まで本物の維新史に触れる旅。
二年にわたった旧幕府軍vs新政府軍の戦争。激戦の舞台となった各地でいまも見ることのできる貴重な史跡のかずかずを戦争経過を追って紹介、幕末維新史の新たな魅力を発掘する歴史ガイドブック!

三条「酢屋」

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酢屋.jpg三条「酢屋」に初めて行ったのは、十年以上前のことです。
当時は、大繁華街の裏筋にありながらも、享保6(1721)年創業の老舗、前をうろつくことも襟を正して通り過ぎないといけないような立派な店構えをしていました。

今でも、当時と変らず格式のある材木商として営業されておられます。龍馬ゆかりの建物が現在も残っているのは大変珍しいことです。

つい先日久々に訪ねました。この人だかりです。観光スポットとして注目を集めています。大河ドラマの影響はさすが大きいですね。
あの頃は、もちろん、これほどまで注目はされていませんでした。
高瀬川の川沿いも、今年からは一変していくことでしょう。
人々の立つ道路端には、当時は材木が並べられていました。
酢屋のすぐ前まで高瀬川の運河が流れていました。
建物は、骨組みが残されていたのを、今回、二階天井部分を剥がして屋根裏が見えるようにしたそうです。この屋根裏の空間を龍馬の大声がこだましていたのでしょう。
龍馬がピストルの試し打ちを行ったとされる出格子のある方向に、すずりと筆を置いた机を配し、「龍馬の部屋」を再現しているそうです。二階もギャラリーでしたが、龍馬コーナーができているそうで、これはもう、早く見学をさせてもらわないと・・。

「酢屋」
高瀬川の木材独占輸送権を得て運送業も行っていた6代目、酢屋嘉兵衛が幕末、取引先の土佐藩で知り合った龍馬と意気投合し、酢屋の2階でかくまったとされる。
 龍馬は、ここに海援隊京都本部を置き、隊士らとともに寝泊まりしていた。
 建物2階には、龍馬に関する史料も展示されており、早くも大勢の龍馬ファンが訪れている。

津山 2.jpg岡山県の津山と言えば、男はつらいよ、フーテンの寅さんシリーズのロケ地で有名ですが、とてもしゃれた資料館が3月にオープンします。

■洋学探究 より深く
 津山市西新町の旧出雲街道沿いに新しく建設された津山洋学資料館が、3月19日にオープンする。

所蔵品は、同市川崎の旧資料館時代より約1千点多い約7千点。うち350点を常設展示する。全国で唯一の洋学専門資料館として、津山市は新たな観光拠点にと期待している。

 新館は旧館の西約700メートル、城東町並み保存地区の一角で、津山藩医・箕作(み・つくり)阮甫(げん・ぽ)の旧宅に隣接して建てられた。鉄筋一部木造の平屋で、約1400平方メートル。2008年4月に着工し、09年5月に完成の後、内部の燻蒸(くん・じょう)や乾燥作業を続けていた。
 入り口のプロローグ室、3常設展示室、スポット展示室など正五角形の部屋が続き、最奥に企画展示室がある。総工費は11億1千万円。

 展示資料は、津山藩の学者・宇田川家3代(玄随(げん・ずい)・玄真(げん・しん)・榕庵(よう・あん))、箕作阮甫、帝国議会の衆議院初代副議長・津田真道(ま・みち)らの著訳書などが中心。第1展示室は洋学黎明(れい・めい)期、第2展示室は箕作阮甫をメーンに、第3展示室は幕末から明治までの資料を紹介している。

 代表的な物には、杉田玄白らが訳した「解体新書」や、玄随が翻訳した日本最初の西洋内科学書「西説内科撰要」、玄真のベストセラー医学書「医範提綱」、榕庵の本格的植物学書「植学啓原」、箕作阮甫が翻訳した「和蘭文典」などがある。
 また、企画展示室では期間ごとに約50点を展示する。

 下山純正(よし・まさ)館長は「旧館は老朽化などもあって思うような展示ができなかった。新館は大型模型や映像も利用して、わかりやすさを工夫した。近代国家の礎を築いた先人の生き様を見ていただきたい」と話している。

 同館はオープンを機に、オランダ・ライデン市にある博物館「シーボルトハウス」と友好提携することにした。同ハウスは、シーボルト(1796~1866)が日本から持ち帰った約800点の浮世絵などを展示する日本博物館。開館行事に合わせ、館長や駐日オランダ大使を招いて調印式を行う予定だ。

いろは丸“復活”

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いろは丸.jpg瀬戸内海で乗船中に衝突、沈没した蒸気船「いろは丸」が復活しました。広島県福山市の景勝地・鞆の浦に観光の目玉として就航です。

 いろは丸は、全長約54メートル、約160トンの英国製で伊予大洲藩が所有。

海援隊が借り受け、1867年に諸藩に売る武器などを長崎から大坂に向けて運ぶ途中、備後灘で紀州藩の蒸気船「明光丸」と衝突しました。その後、えい航中に鞆の浦沖で沈没しました。

 平成いろは丸は全長約22メートル、いろは丸と同じ黒を基調とした船体、19トンと本物より小ぶりで、定員は99人、費用は8千万とのことです。

船内には龍馬の写真や古い操舵輪、コンパスも設置され、レトロな雰囲気が漂い、龍馬が「いろは丸事件」で紀州藩と談判した様子などを写真などで紹介。
縦約80センチ、横50センチの特大の龍馬の写真パネルも飾ってあり、ベンチに座って記念撮影ができるそうです。

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今年もどうぞ宜しくお願い致します。

大河ドラマ「龍馬伝」も始まり、幕末ブームも最高潮ですね。

今回の「そこまで似るの、子孫シリーズ」は、『近藤勇』です。
写真の方は、近藤勇生家の第十代ご当主・傍系子孫でいらっしゃる宮川豊治氏です。

近藤勇の本妻との間の一人娘は、勇の兄(宮川音五郎)の息子に嫁ぎました。
男の子が生まれましたが日清・日露戦争ですべて戦死し、直系は途絶えてしまい
ました。また、勇と妾の間にお勇という娘がいましたがその後の消息は不明です。

宮川氏が子供の頃、家には文庫蔵という土蔵がありました。土蔵には和漢の書籍
がたくさん納められていたそうです。勇は「史記」や「日本外史」などに親しみ
彼の尊皇思想が形成されていったということです。そして、勇が最も信頼し彼の
考えを理解していたのが、新撰組隊士の井上源三郎なのには驚きました。私はてっ
きり土方歳三だと思っていました。

井上源三郎は新撰組一番の年長者でした。それだけに新撰組の要で、鳥羽伏見の
戦いで彼が戦死すると、勇・土方、永倉らの主要な隊士は四散してしまいます。
井上源三郎という柱を失い、戦う意味もなくした勇は流山で出頭しました。
義に照らして自分がとるべき道を選択しました。闘い続けることではなく、「尊
皇」という自らの志を貫くために、ここで生を捨てることこそが義であると判断し、
出頭を決意したのでしょう。義を取りて生を捨てる、その潔い死に様が、
八十の齢を過ぎた今、私の胸を深く打ってきますと宮川氏とおっしゃっておられ
ます。

 

写真屋.jpg【函館】函館の新成人の間で、谷杉写真館「写楽館」(美原3、谷杉アキラ代表)が提供している撮影メニュー「サムライスタイル」が人気だ。

土方歳三や坂本龍馬など、幕末に活躍した志士をイメージした格好で撮影する。谷杉代表は「これから社会に出る函館男子に、自分がヒーローだという自信や勇気を持ってほしい」と話している。

 同写真館は、土方歳三を撮影した幕末の写真師、田本研造の写真場が前身。谷杉代表は昨年8月、築100年の旧小林写真館(大町2)の館主となり、「レトロモダン」をテーマにしたノスタルジックな風合いの特殊加工撮影を始めた。

 写楽館でも「函館らしい撮影メニューを」と、昨年秋から土方歳三の格好で撮るサムライスタイルを始めたところ、若い男性に好評を得たという。今回は成人式に向け、坂本龍馬風のスタイルも新たに加えた。

 衣装は小樽や札幌の古道具屋で探したり、京都の呉服屋に注文するなどして集めた。「あくまでもコスプレではなく、その人の個性を生かしたい」と谷杉代表。土方歳三の洋装に革手袋、坂本龍馬の着物にブーツや襟巻きなど、個人の雰囲気に合わせてコーディネートする。写真はパソコンで加工し、シックな色調に仕上げる。

 サムライスタイルは年齢や性別を問わず誰でも撮影できる。成人式の記念に土方スタイルで撮影した市内の専門学校生、犬井智仁さん(19)は「照れくさかったけど、気が引き締まる感じがしました」と感慨深げだ。

 撮影料は、フォトブック(6ページ)仕立てで1万8千円だが、成人式の記念撮影とセットにすると半額になる。詳細はホームページ(http://www.tanisugi.com)か、写楽館 (電)0138・46・4554へ問い合わせを。

龍馬の拳銃

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坂本龍馬が寺田屋事件で使ったとされる拳銃と同型の銃=高知県佐川町甲の同町立青山文庫で2009年11月11日、千脇康平撮影 

坂本龍馬が寺田屋事件で使ったとされる「スミス&ウェッソン2型」と同型の拳銃が高知県で見つかった。

今月20~29日、同県佐川町の町立青山文庫で公開される。

 1861~74年製造モデルで、6連発式。維新の志士らが護身用によく携行したというが、現存するのは珍しい。民家で偶然発見され、高知地検から展示用に譲り受けた。

 寺田屋事件で龍馬が木戸孝允にあてた手紙に「高杉(晋作)より送られ候ピストールを以て打払い」と登場。同文庫は「気概が伝わってくる。見に来て」と龍馬ファンを“狙い撃ち”。    

                                          12月27日 毎日新聞

龍馬?の写真

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ryouma.jpg龍馬?の写真発見 大浦慶親戚の子孫宅で
 
 大浦慶 (竹谷浩和さん提供)  幕末から明治にかけ、茶貿易で活躍した大浦慶(1828~84年)の親戚の子孫にあたる長崎市新戸町2、自営業竹谷浩和さん(49)の自宅から、坂本龍馬(1835~67年)とみられる、名刺大の写真が見つかった。

慶は幕末の志士たちを支援したとされるが、龍馬との関係を示す資料はほとんどなく、専門家は「本物であれば、新たな史実の発見につながる可能性もある」と関心を寄せている。

 厚紙にはり付けられた写真は、縦9・2センチ、横5・7センチ。
龍馬らしい人物が右斜め前を向いてイスに座り、写真家・上野彦馬(1838~1904年)が撮影したとされる著名な1枚とほぼ同じ構図。

 竹谷さんによると、竹谷家は幕末の時代、長崎市本石灰町で貿易商を営んでいた。特に、曽祖父、政一さんは慶にかわいがられたという。その縁もあり、竹谷家が慶の遺品を譲り受け、3代にわたり管理してきた。

 高知県立坂本龍馬記念館の主任学芸員・三浦夏樹さん(37)によると、現在までに発見されている龍馬の写真は7種類で複写を含めて10枚ほど。

 当時、写真は自らを紹介するものとして使われたとされるが、高価だったため、ごく親しい人にしか渡さなかったという。

 三浦さんは、「状態を見ないと分からないが、原板から焼き増ししたものなら大変貴重。龍馬と慶のつながりを示す資料にもなる。何より大浦家側から見つかったというのが面白い」と注目する。竹谷さんは「今年は日本から茶の輸出が始まってちょうど150年。この写真をきっかけに、お慶さんの存在も広く知ってもらいたい」と話している。